無数の薄紅の花弁を伴って吹き抜ける柔らかな風に、庭にあるたった一本の樹が揺れ、新たな花弁を宙に散らす。
その樹の傍らに屈み、瞼を伏せ手を合わせていた千鶴の耳にカサリと草木を踏む音が届き、その意識を現へと呼び戻した。
伏せていた瞼を持ち上げ、首を動かして後ろを振り向けば、少し後ろに千鶴を穏やかに見つめる瞳がある。
千鶴はその瞳に微笑み返すと、身を起こし、立ち上がった。
千鶴以外にこの隠れ里にいるのはたった一人しかいない。
その唯一である総司が千鶴の横に立ち、先ほどまで千鶴が向かっていたものに視線を向ければ、千鶴も切なげな笑みを浮かべて再び眼前を見た。
薄紅の花弁の降りしきる中、樹の根元にひっそりと置かれた2つの少し大きな石。
その下に眠っているのは千鶴の血を分けた実の兄と最愛の義父。
千鶴と総司、二人の目の前でその生を終え、眠りについた千鶴の大切な家族。
二人で住んでいる家屋の庭にそっと立てたこのお墓に千鶴は毎日足を運び、祈りを捧げている。
総司もそれを知っていて、たまに少し後ろから祈る千鶴を見守っている。
「・・・薫のしたことを全て許せるわけじゃありません」
千鶴がぽつりと呟いた言葉を、総司は答えることなく静かに聞いていた。
千鶴も答えが欲しい訳でなく、ただ胸の奥でわだかまる感情を吐き出したかっただけなので、そのまま言葉を続ける。
「それでも、薫の気持ちもわかってしまうから・・・・・・」
薫によってどれだけの人が傷つき、その運命を歪められたかわからない。
千鶴も、そして総司も薫によって人として生きる道を妨げられた。
それは変えようのない事実で、その現実から目をそらすことはしたくない。
それでも、遠い記憶を思い出したときに溢れそうになった憎悪と悲哀が千鶴の中にも確かにあって。
一歩間違えば自分も薫と同じ道を歩んでいたのかもしれないと思うと、薫をただ憎むことができない。
千鶴にはずっと義父がいて、憎しみに囚われそうになった時には総司が側で支えてくれた。
だけど薫には支えてくれた人も手を差し伸べてくれた人もいなかったのだ。
それはどれだけ辛いことだったのか。
胸中にくすぶる感情を表す言葉が見つからず千鶴が口を噤むと沈黙が二人の間に落ちた。
それを破ったのは総司だった。
「ねえ千鶴」
「はい」
「僕は薫が嫌いだよ」
きっぱりと紡がれた言葉に、千鶴は当然だろうと小さく頷く。
総司が薫のせいでどれだけ苦しんだか、ずっと側にいた千鶴はよく知っているのだから。
「薫のせいで君は羅刹になってしまった」
「それは総司さんも同じです」
あの時、薫は千鶴を苦しめるためだけに偽りの仮面を付けて総司に変若水を差し出した。
総司が羅刹になったのも薫のせいだと千鶴はそう思っている。
その時のことを思い出すと今でも胸が潰されそうなくらい悲しくなる。
だが千鶴が総司を見上げると、総司は違うよ、と小さく首を横に振った。
「僕は自分で選んで変若水を手に取り、羅刹へと堕ちた。だからそのことで薫を憎んでなんかいない」
総司は確かに戦う力を欲していた。
だから目の前に差し出された変若水を自ら手に取ったのだ。
「でも君は違うでしょ」
薫は千鶴を無理矢理羅刹へと堕とした。
千鶴を苦しめるために。
それはなにがあっても許せないのだと、総司は呟く。
それに、と美しい翡翠の瞳が真っ直ぐに千鶴に向けられる。
その瞳が切なげに細められた。
「薫は何度も君を泣かせてる。・・・・・・今だってね」
「え・・・」
総司の言葉に千鶴は初めて自分が泣いていることに気づいた。
気づいてしまったら、もう涙が溢れるのを抑えられない。
「ご、ごめんなさい」
次々とこぼれ落ちる涙を慌てて袖で拭おうとした千鶴だが、その手は総司により止められた。
そして頬に総司の大きな手が添えられる。
「薫だけじゃない。君を泣かす奴は誰であっても嫌いだ」
紡がれる言葉とは裏腹に、千鶴の瞳に映る総司の表情はとても優しさに満ちていて、千鶴のことを心から想っているのがわかる。
「でも千鶴は優しすぎるから、泣かないなんてそんなの無理だよね」
総司の温かな指がそっと涙を拭う。
「ならせめて千鶴の悲しみも苦しみも全部僕が一緒に受け止めてあげる。だから・・・・・・僕の前でなら泣いていいよ」
次の瞬間、千鶴は総司の胸に抱きしめられていて。
溢れる涙が総司の着物の胸元に染み込んでゆく。
総司の言葉通り千鶴の悲しみも苦しみも、全てを受け止めるように。
総司の優しさが、向けられる言葉に含まれる気遣いが、触れあう場所から伝わる体温が、千鶴の心を溶かし、涙を更に溢れさせて。
千鶴は消え入りそうなほど小さな声でありがとうございますと呟いて総司の着物をぎゅっと握りしめた。
零れる
涙
の行く先は
END
****************************
前々から書きたくて、途中まで書いて放置していたものをなんとか完成させました。
でも物凄くぐだぐだになってしまいました。
千鶴は薫に関しては凄く複雑な心境だと思います。
沖千+薫が大好きです!
2009.11.30