信じて欲しい
アンタが何処に行こうとも、俺はアンタを愛してる
夜も更け、辺りを照らすのは闇に浮かぶ月明かりだけ
そんな中をヒノエは一人歩いていた
何か目的があるわけではなく、何となく胸騒ぎがして寝付くことができず、気分転換をする為だ
冷たい風が頬を撫でていく
気がつくとヒノエは浜辺に来ていた
目の前に広がる海はどこか熊野の海を思い出し、心が静まる
ヒノエは近くにあった岩に腰を下ろし、ぼーっと海を見つめ続けた
どれほどそうしていただろう
気がつけば月が頂上に昇っていた
ふと我に帰り、陣に戻ろうとしたヒノエだが、少し離れた所にある岩場から人の気配がすることに気づいた
(こんな時間に誰だ………?)
ヒノエは不思議に思い、警戒しながら気配を消して岩場に近づいた
そしてそっと覗き込み、その光景に息を飲んだ
そこにいたのは
金の髪の天女
いつもは隠している亜麻色の髪が、月の光を浴びて輝き、まるで月が地上に下りてきたかのよう
その表情はとても美しく、そして儚げだった
「………何してんの」
「………月を………見てました………」
さすがに気配で気がついていたのだろういきなりかけられた声に驚くこともなく、ただそう答えた
「そう」
ヒノエはただそう言うと弁慶の隣に腰を下ろした
「…………」
「…………」
二人の間を静寂が包む
けれど居心地が悪いわけではなかった
むしろ心を許しあっている二人にとっては心地よく、安らげる時間であった
「………そろそろ戻りましょうか」
しばらく二人で月を眺めた後、そう言って弁慶は立ち上がった
「………そうだな」
ヒノエも弁慶の意見に同意し、立ち上がった
冷たい風が吹く中、二人は並んで歩き始めた
源氏の陣まであと少しの所まで来た時、弁慶が急に立ち止まった
ヒノエは不思議に思い、振り返ると弁慶はうつ向いていた
「どうしたんだ」
ヒノエは弁慶の態度の変化に驚きつつも、動揺を隠すように優しく訊いた
「………」
弁慶は明らかに様子がおかしかった
その肩は小さく震え、今にも消えそうなほど頼りない気がして
ヒノエは弁慶を優しく抱き締めた
弁慶の肩が一瞬驚いたように上がったが、やがてゆっくりとヒノエの背中に腕を回してきた
「落ち着いたかい」
ヒノエは弁慶に理由を聞くようなことはしなかった
聞いたところで弁慶が本当のことを言ってはくれないのだとわかっているのだ
「………えぇ、すみませんでした」
そう言って顔を上げた弁慶の頬を流れるたった一粒の涙
それはとても綺麗で、哀しげだった
(こいつの涙なんて初めて見た………)
今まで弁慶はどんなことがあっても決して涙を見せることはなかった
それ故にヒノエは弁慶の涙を見るのは初めてで、とてつもない不安に襲われる
(………だけど……)
涙の理由を訊いたとしても弁慶は決して話はしない
全てを独りで抱えて、独りで苦しもうとする
まるでその身に纏う闇色の外套のように、その心をひた隠しにして
ヒノエは弁慶を抱き締める腕に力を込めた
お互いの存在をしっかりと感じられるように
「俺がいる………だから独りで苦しむなよ………」
ヒノエは弁慶の耳元で哀しそうに呟いた
そうして二人はしばらく抱き締めあった
しばらくの後
ふいに冷たい物が二人に触れた
何かと思い、お互いに顔をあげると
ひらひらと舞うように落ちる美しい六花
「………雪?」
「………みたいですね」
まるで二人を包むように舞う雪
その様子は幻想的で、全てを忘れてしまいそうになる
「………陣に戻りましょうか」
「ああ」
二人は少し名残惜しそうにしながらもそっと身体を離した
雪は止むことなく降り続き、辺りを白く染めていく
二人が陣の入口に着いた時には吹雪いていた
「ヒノエ………」
呼ばれて振り向いたヒノエに弁慶はそっと口付ける
触れるだけの口付けはとても優しかった
弁慶はそっと唇を離すとヒノエの目を見て
「ヒノエ………お願いがあります」
「何?」
「………僕を信じてほしいんです」
「なっ!?」
「僕は君を愛してます。………この先どんなことがあっても君だけをずっと愛し続けます。それだけは、この気持ちだけは信じていてほしい」
弁慶はそれだけ言うとさっと身を翻し、陣の中へと消えていった
ヒノエは慌てて手を伸ばすが、その手は空を掴むだけだった
「………アイツ何考えてるんだ………」
一人残されたヒノエはそう呟いた
突然告げられた言葉………それは聞きようによっては別れの言葉にも聞こえる
そしてその言葉を告げた時の弁慶の眼差し………それは何かを決意したようで
「くそっ!!」
ヒノエは急いで陣の中に入った
ヒノエは陣の中を探し回ったが弁慶を見つけることはできなかった
その内にだんだんと周りが明るくなってきて、他の仲間達も起き始めた
こうなってしまうと弁慶と二人で話すことはできない
しかも今日は大切な戦を控えている
源氏の軍師である弁慶は九郎や景時との話し合いをしているのかもしれない
そうなるとそれを邪魔をすることもできない
(こうなったら今日の戦を早く終わらせるしかないな)
戦を早く終わらせて弁慶の言葉の真意を確かめる
それが今ヒノエに出来ること
けれど
その日弁慶は源氏を裏切った
END