緋色の太陽
「ヒノエッ!」
振り返った俺が見たのは緋色に染まった太陽だった。
ドサッ
何が起こったのか、俺にはわからなかった。いや、わかりたくなかったんだ。
ただ、腕の中に倒れ込んできたアイツの背中は真っ赤に染まっていた。
「弁慶っ・・・?」
「弁慶さんっ!」
望美が慌ててこっちに近寄ってこようとしたのが視界の隅に見えたような気がした。
「望美、今は怨霊を封印することが先決だ」
「でもっ・・・」
「弁慶のことは朔殿に任せるんだ」
「・・・わかりました」
「朔殿、弁慶を頼む!」
「ええ」
望美の代わりに朔ちゃんがこっちに来た。少し離れた所では他の八葉たちと望美が怨霊と対峙している。
だけど俺は腕の中で動かないアイツを抱き締めることしか出来なかった。
そうしなければアイツが俺の近くからいなくなってしまう気がした。
動かないアイツに応急処置をして急いで宿に戻り、すぐに薬師に診せたおかげで何とか一命は取り留めたものの、一週間経ってもアイツが目を覚ますことはなかった。
「・・・ヒノエ、入るぞ・・・」
声のしたほうを見ると敦盛が入り口に遠慮がちに立っていた。
「敦盛、何か用か?」
「夕餉の支度ができたと神子が呼んでいる」
ふと外を見るとすでに陽が落ちかけ、夜の闇が迫っていた。
「そっか、もうそんな時間か・・・・・・悪いけど今は腹減ってないから遠慮しとくぜ」
「だがヒノエ、そう言ってこの一週間ろくに食べていないだろう」
「・・・・・・」
「それにちゃんと寝てもいないのだろう」
「・・・そんなこと無いさ」
「弁慶殿のことが心配なのはわかる。だが、このままではお前まで倒れるのではないかと皆心配している」
そう言ってくる敦盛の目にも心配の色が浮かんでいる。
この一週間、俺はアイツの傍から離れることが出来なかった。
少しでも目を離したらどこか知らないところへ行ってしまうんじゃないか―俺の手の届かないどこか遠くへ―そんな気がして堪らなかった。
他の皆が俺の事を心配しているのは知っている。
それでも
「今はここにいたいんだ」
アイツから離れたくない。その想いが揺らぐことは無い。
「・・・ヒノエ・・・」
「大丈夫だって!俺はそんなにヤワじゃない」
「だが・・・」
「腹が減ったら自分で食べに行くさ。だから心配すんなって」
「・・・わかった」
敦盛の表情が少し和らいだ気がした。
「後で譲に頼んで何か食べやすい物を作ってもらい、持って来よう」
「はぁ?だから後で食べに行くって言ってんだろ」
「それではいつになるかわからないだろう。ならここに持ってきたほうが早い」
苦笑しながらそう言う敦盛に俺は返す言葉を失った。
まったく、この親友はいつだって俺のことをわかっている。
幼い頃から何一つ変わらぬその優しさに何度救われただろう。
「敦盛、ありがとな」
「ヒノエ・・・無理はするな」
そう言うと敦盛は部屋を出て行った。
部屋を出ると敦盛はため息をついた。
弁慶が倒れてから一週間、ヒノエはほとんどこの部屋から出ていない。このままではヒノエの体が限界を迎えるだろう。
だが、ヒノエの頑なな気持ちを変えることは自分には出来ない―それが出来るのは昔も今もこの世界でたった一人―改めてそれを実感してしまう。
「早く目を覚ましてください、弁慶殿・・・」
敦盛が部屋を出て行って、部屋は再び俺とアイツの二人だけになった。
アイツの顔は雪のように白く、息をしているのかは口元にかなり近づか無いとわからない。だけど
生きている
目の前で眠るアイツはまるで月のようだと思う。
静かにそこにあり、けれど絶対に手に入れることが出来ない―手を伸ばしこの手に掴もうとしても掴めず、ただ見ていることしか出来ない―だけどなくてはならない存在。
だからこそ、俺を残して目の前からいなくなってしまうんじゃないかと不安になる。
「・・・なんて顔してるんです」
「なっ・・・」
俯いていた顔を上げると、アイツの優しい瞳と目が合った。
どこまでも深く、全てを包み込んでくれるかのような瞳が、全てを癒してくれるかのような声が、全てを慈しんでくれるかのような微笑みが
確かにそこにあった。
「っ・・・」
俺はもう何を言えばいいのかわからなかった。
ただアイツがそこにいてくれることが嬉しくて、声を聞けたことが嬉しくて、微笑んでいてくれることが嬉しくて
大切なものを失わずに済んだことが本当に嬉しかった。
「ヒノエ・・・」
俺の名前を呼びながら手を伸ばしてくるアイツが愛しくてどうしようもなく、気がつけば俺はアイツを強く抱きしめていた。
「・・・ヒノエ、痛いんですけど」
「うるせぇっ」
そう言いながらもアイツは俺の腕から逃れようとせず、まるで宥めるかのようにずっと俺の背をなでていた。
「君が無事でよかった・・・」
どれくらいそうしていただろう。唐突にアイツの言った言葉に俺は驚き、抱きしめていた腕を放すとアイツは優しく微笑んでいた。
「君は僕にとって太陽のような存在ですから。何者にも代えることの出来ない唯一無二の人。君を失ってしまったら、僕はきっと生きていけない」
その声はとても優しく、俺の中に沁みこんでいく。
昔から変わらない深い優しさはいつでも俺を包み、癒し、慈しみ、支えてくれる。
「だから君が無事で、本当によかった」
俺は再びアイツを強く抱きしめた。
そうするとアイツの存在が確かなものだと感じられるから。
何があっても守れるように
何があっても失わないように
ただそれだけを願って
「弁慶、愛してる」
俺はそう囁いた。
END